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執筆者の写真Motorsport Laboratory

レーシングシミュレーターの基礎知識 前編

更新日:2019年12月30日

ご覧いただき有難うございます。

レーシングシミュレーターが一般に知られて久しい昨今ですが、

今回は前編/後編に分けて、改めて存在意義を整理してみたいと思います。


いずれも、私たちの意見ですので、異なるご意見もあるかと思います。

その点、ご留意ください。


1.リアルなシミュレーターって何だ?ゲームとの違いは?


シミュレーターの構成

シミュレーターは「ハードウェア」と「ソフトウェア」の2本柱で構成されます。

これは昨今のゲームもシミュレーターも同様ですが、その細部には確かに違いがあります。



シミュレーターとゲームの違い

以下の表でシミュレーターとゲームのハードとソフトを、

少し掘り下げて比較してみました。

レーシングシミュレーターとゲームの比較

※ここでの「ゲーム」は、一般的な認識をイメージしています。

 

シミュレーターの操作系は、例えばステアリングはパワステが無い所謂「重ステ」を再現可能で、ブレーキはF1トップドライバーが使用する100kgf相当の踏力まで使用可能で、実車の操作系と見違える程の機能を有します。


 これらより、

(1)実機さながらの専用のハードウェアを介して操作される

(2)細かな計算が物理的に正しく行われる

(3)車両開発用の機械


以上が、シミュレーターの特徴ではないでしょうか。


では、ゲームではなくシミュレーターである必要性は何か。

それは、シミュレーターが実現する「リアリティ」に様々な価値を見出せるからです。






2.シミュレーターはどれだけ「リアル」なのか?



リアルから得られるメリット

自動車会社やレーシングチームが、ゲームではなくシミュレーターを使うのは、そのリアリティから様々な恩恵を受ける為です。

現実を完璧にバーチャルの世界に置き換えれば、クルマを作らなくても試験が出来るし、性能向上も可能になります。クラッシュのリスクなく雨の130Rの限界を知ることが出来るし、ガソリン代もタイヤ代も、輸送費すら掛かりません。

 

あながち無視できないのは、テストコースやサーキットへ往復する時間すら掛からないことです。掛かるのは設備への初期投資と電気代だけ。トータルで考えれば比較にならない程安価に済むし、もはやメリットしかないように思えます。


しかし、そのメリットはバーチャルの世界が現実を置き換える(=リアルである)ことが前提です。では、シミュレーターは一体、どれほどリアルなのでしょうか。



「リアル」の定義は、用途によって異なる

実はこのテーマがあながち深く、最も重要な点だと考えます。

 

例えば「実車に乗っていると錯覚すること」がリアルなのか、

または「実車と同じ様にクルマが運動すること」なのか。

 

私達の答えは単純で、「用途によって異なる」と考えています。


例えば、歩行者が飛び出してきた際のドライバーの回避行動や心拍を計測する場合、

錯覚度の完成度が高いことが求められます。


一方、車両の運動性能がモノを言うレーシングシミュレーターにおいては、

運動計算の完成度が高いことが求められます。


では、サーキットの走行タイムが実車と一致するシミュレーターが

レース用に正しいシミュレーターだと考えられるか…


私たちは「それだけでは足りない」と考えています。



レーシングシミュレーターのリアリティとは

実は車重、タイヤμ、粗いエアロデータ、コース形状をだいたい反映すれば、

サーキット1周のラップタイムは案外合ったりします。


しかし、レーシングシミュレーターにおけるリアリティの追求とは、100面あるルービックキューブを全て揃える様なものです。


ラップタイムは最も目立つ1面に過ぎず、他の99面がどれだけ揃っているかが、完成度の差です。

姿勢変化時の空力特性、バンプ時の挙動や路面接触、タイヤμの荷重特性などなど…全てが数値的に現実と全く同じ状態が、レーシングシミュレーターが目指す究極のリアリティです。


その99面が揃った時、残り1面のラップタイムも当たり前に一致します。



ドライバーに「実車と同じ操作をさせる」シミュレーターが理想

レーシングシミュレーターは「ドライバーインザループ」システムと呼ばれます。

ドライバーは、シミュレーターからのフィードバックを受け取り、判断を行い、またシミュレーターに操作入力を与える高度な「制御装置」と考えられます。


レーシングシミュレーターの究極の理想像は「現実を置き換えること」ですので、物理的に正しい計算を行いながら、ドライバーに「実車と同じ操作をさせる」システムが目指すべき姿になると考えられます。その姿を目指して、ソフト/ハード共に開発を行っています。



ソフトのリアリティ追求は、今なお研究が続く

数値的に現実を再現することは、ある意味では容易です。

ただし、あらゆるシーンの実測値が正確に得られることが条件です。


例えば、縁石上で飛び跳ねる車体の空力特性の計測は、現在の技術では困難です。

幾つもの車速や姿勢が存在し、姿勢そのものも時々刻々と変化します(過渡特性)。


縁石上のタイヤ特性も同様です。

正確な計算が行えても、変形や摩擦変化をリアルタイムかつ

正確に計算する方法が存在しません(研究レベルを除く)。


究極的には、レーザースキャンされたトラック上でCFD(数値流体力学)やFEM(有限要素法)といった解析をリアルタイムで回し、実機さながらの挙動を得るシミュレーション手法が考えられますが、現時点では実現していません。


もしかすると、今後は正確に計測された膨大なデータを基に、昨今流行りのディープラーニングでモデリングする手法が登場するかもしれませんが…。

いずれにせよ、リアリティを追求する為、日々ソフトウェアも開発が続いています。



部品単体のデータを合体して、理詰めで車両1台をデータ化する

車両をシミュレーターに登場させる為に、データを作成する必要があります。

基本的には部品単品レベルの特性を元にデータ化を行います。


例えば、TTC(Tire Test Consorsium)でタイヤの単体特性を計測し、

Magic FormulaやMichelin社提唱のTAME Tireと呼ばれるモデルに落とし込みます。


ただし、ここまで詳細なモデルは後述のプロ用ソフトでしか使えないため、

一般ユーザーが使用する汎用ソフトでは、少し単純化されたモデルへの落とし込みが

必要となります。その際、制約が多い中での合わせこみ方がノウハウです。



シミュレーターのタイヤ
実機の計測とシミュレーションモデルの比較 一般向けソフトには制約があり、どこを重点的に合わせこむかがポイントとなる(後述)


タイヤモデル
タイヤの単体シミュレーション例 部品1つ1つの特性を予め合わせ込む

  

ソフトは理論だけで詰められる~シミュレーターと実車のログ比較例~

機密の都合で単位や数値は公表できませんが、下記に私達が開発した車両モデルのシミュレーション結果と、実車の走行データの比較を掲載します。

シミュレーターはデータ化を行った後に初めて走行した結果ですが、いきなり精度良く一致します。空力・タイヤ・サスペンション等、あらゆる要素の一致度が高いため、細かなセッティング変更すらデータに反映され、実機に一層近いアウトプットが得られます。


ソフト側はドライバーのフィードバック無しに、ここまで精度良く再現できます。

では、ハード側はどうでしょうか。

シミュレーターの再現性
車速の比較


部品の挙動比較例


ハードウェアの課題~ヨーとGが100%フィードバックできない~

全ての挙動が完璧に再現される夢の様なソフトが実現しても、

完璧なハードウェア抜きにリアルは実現しません。


しかし、ここで最大の課題に直面することになります。

それは、ヨーとGの再現です。サーキットを1周するヨー挙動を正確に再現しようとするならば、1周した時点でシミュレーター自体も1周している必要があります。

しかし、現実的にはケーブル接続の制約上、実現性が低いです。

更に、水平方向のG再現は更にハードルが高いです(下記)。



100%フィードバックするハードは、現実的なサイズにならない

例えば、F1でトルコのターン8は横5Gが約5秒続く高速ターンを考えましょう。

これをシミュレーターで再現しようとすると、片側613mもの幅が必要になります

(5Gの加速度で5秒加速し続けた先が、613m向こう側)。


これはとても現実出来なサイズではありません。

そこで、2.5Gを2.5秒続けると仮定すると片側77mとなり、

自動車メーカーが保有する大型シミュレーターの環境に近い値となります。

 

ちなみに、更に控えめに0.1Gを1秒続ける場合は片側1mのスライド量で済みますが、

これでもまだ一般的な空間には置けなさそうです。



ヨーと水平Gをフィードバックする必要性

どうもハードルが高そうなので、そもそもの話として、

ヨーとGをドライバーに伝える必要性について改めて考えてみましょう。


レーシングシミュレーターにおけるハードウェアの最大の役割は

「いかにタイヤの限界と車両挙動を伝えるか」だと考えられます。

 

その為のハードウェアとして、ステアリング、モーションアクチュエーター、振動装置(シートやフレームを振動させる)が挙げられ、組み合わせて使用されます。

これらを用いることで、形を変えてヨー水平Gをフィードバックすることを考えてみます。



ヨーは規模を小さくGは各装置の組み合わせで代替する~官能評価の出番

前後Gは「加減速の度合い」を感じる指標であり、

横Gは「旋回速度」を感じる指標と考えられます。


これらを通じて「今、自分が速いか遅いか」を、感じられることになります。

 

しかしこの感覚は、限界走行する場合には

必ずしも必要不可欠ではない(優先順位が低い)と考えらえます。


まず、横方向の限界について考えてみましょう。

フロントタイヤはステアリング反力から限界を伺うことができます。

リアタイヤの限界は、回転規模を縮小したヨーや振動装置から感じることが可能です。


つまり、規模を縮めてフィードバックを与えることで、

比較的精度高く限界点を感じながら走行することが可能であり、

「今、自分が速いか遅いか」はタイム表示等で確認すれば、大きな問題にはなりません。


こういったフィードバック表現は、実車を知るドライバーによる

官能評価を取り入れながら開発することが重要となります。



ハードウェアも、今なお開発が続く

シミュレーターとしての理想を追求し、私達も様々な試行を行ってきました。


例えば、よりリアルなドライバーへのフィードバックを実現しようと、

実車のペダルとキャリパーでシステムを構成しましたが、踏力特性は完璧に一致しませんでた。


これは予想通りで、実車のキャリパーは高温で柔らかくなる特性を有する為、

室温のブレーキパッドは固すぎる為です。また、車種によって特性は大幅に異なります。


こういった実車の「クセ」を敢えてシミュレーターに再現することも開発の一部であり、

試行錯誤が続いています。




長文となりましたが、前編の最後までご覧いただきありがとうございました。

後編は「プロ向けのレーシングシミュレーター」についてご紹介いたします。


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